1993-08-12 第127回国会 衆議院 本会議 第3号
門司亮さんに対する弔詞は、去る七月十三日、井岡大治さんに対する弔詞は、去る七月九日、それぞれ既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
門司亮さんに対する弔詞は、去る七月十三日、井岡大治さんに対する弔詞は、去る七月九日、それぞれ既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
○高橋(高)委員 われわれの大先輩に御承知の門司先生がおられまして、私は、この問題で実は門司亮先生に御意見を承り、なおかつ、われわれの党の立場の上に立って、やはりこの際、むしろ思い切って破廉恥罪の適用くらいのことを考えなければいかぬ、そうしないと、もうこのところの一連の事件に対する国民のいろいろな声、またわれわれ自身の反省すべきこと、この辺を考え合わすと、その程度のところまで考えるのが当然じゃないかと
したがって、当時としては、わが党の、特に沖繩特別委員会におきましても門司亮議員から地籍明確化法案を提出すべきであるという強い要求をしておったんですが、その部分が入れられないで暫定使用法だけを通すということについてのわれわれの強い反対を表明したわけです。
私たちの党では、すでに昭和四十六年十一月三十日に、沖繩及び北方問題に関する特別委員会の質疑応答におきまして、当時の山中国務大臣とわが党の門司亮議員との間におきまして、この問題にいち早く強烈な要求をしております。
そのときはまだ遺族の数は十三家族でございましたが、一般の方々も三百名以上お集まりいただきまして、来賓の方々も、市長代理、県警、そして県会の方々、また民社党の門司亮先生等もおいでいただきまして、その当時はなかなか華々しくいったのでございますが、何としてもこの運動はむずかしゅうございまして、それでその年の十二月二十日ですか、六月ごろから皆さんの方に署名簿を郵送いたしまして、皆さんから五十名、百名と署名をいただきまして
このことは、第六十七回国会の四十六年十一月に民社党の門司亮議員から、当時から、この確定に対してはすみやかにしなければならぬと要請があり、佐藤総理大臣も、困難な問題であるけれどもやる、こういうふうな答弁もございます。当時の長官の山中長官も言っております。あれからもう数年過ぎております。いまでも具体的に軍用地の確定というものにつきましてはほとんどなされておりません。
特に民社党の門司亮先輩が再三にわたって取り上げたところの問題、地籍調査はいまのうちに完了しておかなければなりません。けれども、なかなか手がついておりません。そこで、問題はどこにあるかという一つのポイントは、これは一体政府のどこが主管かということがぼけておるのではないかと私は思うのです。普通の場合だったらあるいは法務省の所管かもしれません。
委員長 谷垣 專一君 理事 上村千一郎君 理事 大石 八治君 理事 塩川正十郎君 理事 中村 弘海君 理事 豊 永光君 理事 山本弥之助君 理事 小濱 新次君 理事 門司 亮君 岡崎 英城君 亀山 孝一君 菅 太郎君 小山 省二君 國場 幸昌君 砂田 重民君 高鳥 修君 中島 茂喜君
門司亮君。
○谷垣委員長 門司亮君。
渡辺 肇君 渡辺美智雄君 上原 康助君 大原 亨君 木島喜兵衞君 佐野 憲治君 中谷 鉄也君 楢崎弥之助君 西宮 弘君 美濃 政市君 安井 吉典君 伊藤惣助丸君 桑名 義治君 斎藤 実君 中川 嘉美君 渡部 一郎君 小平 忠君 門司 亮
小島 徹三君 島村 一郎君 白浜 仁吉君 永田 亮一君 永山 忠則君 灘尾 弘吉君 古川 丈吉君 松浦周太郎君 松野 頼三君 吉田 重延君 阿部 昭吾君 阪上安太郎君 堀 昌雄君 松沢 俊昭君 山本 幸一君 鈴切 康雄君 伏木 和雄君 門司 亮
それでは、委員長は、 岡崎 英城君 奥野 誠亮君 鍛冶 良作君 久野 忠治君 吉田 重延君 堀 昌雄君 伏木 和雄君 門司 亮君 以上八名を理事に指名いたします。 本日は、これにて散会いたします。 午後二時二十三分散会
石井 一君 江藤 隆美君 小此木彦三郎君 大野 明君 大野 市郎君 鯨岡 兵輔君 佐藤 孝行君 佐藤 守良君 白浜 仁吉君 關谷 勝利君 田中 榮一君 箕輪 登君 水野 清君 山村新治郎君 渡辺美智雄君 安井 吉典君 桑名 義治君 門司 亮
派遣委員は、湊徹郎君、豊永光君、西宮弘君、伊藤惣助丸君、門司亮君、東中光雄君と私、鯨岡兵輔の七名でありましたが、現地では、当委員会の委員でもある現地選出議員の参加も得まして、那覇市において沖繩総合事務局、那覇防衛施設局、沖繩振興開発金融公庫及び沖繩電力株式会社から業務報告を受け、また沖繩県、同市長会、同町村会及び同離島振興協議会等の自治体関係者並びに商工会議所、全軍労代表と懇談するとともに、嘉手納村立屋良小学校
昭和四十七年十月十一日(水曜日) 午前十時三十七分開議 出席委員 委員長 谷垣 專一君 理事 塩川正十郎君 理事 中村 弘海君 理事 山本弥之助君 理事 門司 亮君 小山 省二君 高鳥 修君 中島 茂喜君 丹羽喬四郎君 後藤 俊男君 山口 鶴男君 山本 幸一君 桑名 義治君 和田 一郎君
○谷垣委員長 門司亮君。
派遣委員は、大石八治理事、山本弥之助理事、門司亮理事、綿貫民輔委員の各委員に私の五名でありますが、高知県では大西正男議員が現地参加されました。なお、調査室からは直江鷹郎及び栗山正行の両調査員が同行いたしました。 調査は、八月一日から同四日までの四日間にわたり、それぞれ関係当局から説明を聴取するとともに、現地調査を行ないました。
昭和四十七年九月十二日(火曜日) 午前十時三十七分開議 出席委員 委員長 谷垣 專一君 理事 塩川正十郎君 理事 中村 弘海君 理事 山本弥之助君 理事 小濱 新次君 理事 門司 亮君 岡崎 英城君 砂田 重民君 中山 正暉君 丹羽喬四郎君 綿貫 民輔君 山口 鶴男君 横山 利秋君 桑名 義治君
○谷垣委員長 門司亮君。
昭和四十七年八月十一日(金曜日) 午後三時五分開議 出席小委員 小委員長 塩川正十郎君 上村千一郎君 大石 八治君 中村 弘海君 山本弥之助君 和田 一郎君 門司 亮君 小委員外の出席者 地方行政委員長 谷垣 專一君 警察庁交通局長 片岡 誠君 運輸大臣官房政
地方税に関する小委員 上村千一郎君 大石 八治君 國場 幸昌君 塩川正十郎君 中村 弘海君 永山 忠則君 豊 永光君 山口 鶴男君 山本弥之助君 小濱 新次君 門司 亮君 地方税に関する小委員長 大石 八治君 消防に関する小委員 上村千一郎君 大石 八治君
○谷垣委員長 次に、門司亮君。
大野 明君 奥田 敬和君 小山 省二君 佐藤 文生君 斉藤滋与史君 關谷 勝利君 野呂 恭一君 服部 安司君 別川悠紀夫君 松山千惠子君 粟山 ひで君 山下 徳夫君 渡部 恒三君 大原 亨君 佐野 憲治君 安井 吉典君 二見 伸明君 門司 亮
上村千一郎君 大石 八治君 岡崎 英城君 塩川正十郎君 中村 弘海君 中山 正暉君 豊 永光君 山口 鶴男君 山本弥之助君 和田 一郎君 門司 亮君 七月十三日 塩川正十郎君が委員長の指名で、小委員長に選 任された。
委員長 大野 市郎君 理事 上村千一郎君 理事 大石 八治君 理事 塩川正十郎君 理事 中村 弘海君 理事 豊 永光君 理事 山本弥之助君 理事 小濱 新次君 理事 門司 亮君 岡崎 英城君 菅 太郎君 國場 幸昌君 坂田 道太君 高鳥 修君 中島 茂喜君 中山 正暉君 永山 忠則君 橋本登美三郎君
理事 上原 康助君 石井 一君 宇田 國榮君 小渕 恵三君 大石 八治君 大野 明君 佐藤 文生君 谷垣 專一君 藤波 孝生君 箕輪 登君 湊 徹郎君 森 喜朗君 山下 徳夫君 豊 永光君 伊藤惣助丸君 桑名 義治君 二見 伸明君 門司 亮